「泥より出でて、 泥に染まらず」
蓮は泥の中で育ちながら きれいな花を咲かせます。
実際、美しく咲くためには泥水が必要で、 真水では 華は大きく咲かないのだそう。
このことが理由で、ある宗教では「汚れた世界の中にいながら 清く生きる」という教えを蓮にたとえました。
しかし同時に、 宇宙法則は 別のことを示唆しています。
「物理次元での行動が、花を咲かせる」
こんな教えも 含んでいるんです。
ご承知のように、人は肉体なくして物質次元を体験できません。
蓮の花が、泥下の茎なくしては涸れてしまうように、心や感情だけでなく、物理次元での行為、言明も発揮すべきであると カバラの伝統は教えています。
ヘルメスの『エメラルド・タブレット(碑文)』に「上なるものは 下なるものの如く」とあるように、精神は行動、言明、さまざまな選択の局面に現れます。
つまり行動力や実行力を行使し、現実的で目に見える行動にも 努めなければ片手落ちということ。
泥下の茎部分は、現実次元を指しています。
スピリチュアリティの成長進化を希求する人は多いものの、心と感情ばかりを重要視して、行動の側面を鍛えることを、次元が低いことのように誤解釈しているケースもありそうです。
とかく 意識だけが高尚で、物理次元の行動はそれよりも低い(卑しい)という 誤った理解は、同時に ただただ 優しい印象こそが高等で高質と信じ、優しさのベクトルの対極にある厳しさという”トレーニング”を避けさせます。
その挙句、国家、政府や会社、団体組織、(ミクロな視点では 個人間で)誰かが率いてくれる…、自分がやらなくても… 、(極端な依存の例では)天使や宇宙人が助けてくれる… という 根拠も整合性もない 信じ込みが 浸透してしまっています。
物理次元での体験に必要なのは肉体である点からも、肉体を伴った実際的な活動、脳や口を使って意見を伝えるなども 精神と同じだけ(時には 精神よりも)大切なレッスンとなります。
そして、いま 時は満ちたのでしょう。
数千年の歴史を見れば分かりますが、はっきりとした意図をもち、自分から行動する強さを発揮する人びとが 世界の有り様を決めてきました。
ただ ブツブツと思い煩っているだけでは、世界は ちっとも良くならなかったのです。
それは誰の責任かといえば、 一人ひとりの 思考放棄、行動放棄でした。
日本の経済、価値システムへの疑問は もとより、世界の諸問題について、私たちは 長らく行動しなかった結果、一部の”行動者”らに、いいように あしらわれてきたと言えるからです。
この現実を見るには 覚悟が 必要です。
けれど、ここでまた 耳障りが良い精神世界に逃げてしまうことは、美しくも聡明でもありません。
真に 優しくも ありません。
辛辣な物事であっても、それを直視しないことは、少しも美徳ではないのです。
イエスもブッダも、周囲の衆との軋轢を経験しましたが、NOはNO、ならぬものはならぬ!と発しました。
彼らは 直視することを選んだのでした。
心で思っているだけ、高潔なフリや目覚めている気分だけ、待つ姿勢に甘んじているだけ..で何かが与えられることは、まず ありません。
事実、そんなことは この次元世界では 一度もなかったでしょう。
何かを得られたときには、必ず 行動という対価を投じた筈です。
日々、小さなことでも 茎の部分にあたる現実に対応した行動をしないで良いのなら、私たちは、物質次元で生かされていることへの理由も 失います。
ゆるふわな衣をまとった、優しさと愛を謳う”洗脳されたスピリチュアリティ”には、整合性がありません。
私はそのことを 危惧しています。
「敵は 最大の教師である」
この言葉どおり、誰もが避けたい”厳しさ”と、誰もが欲しがる ”愛”は コインの表裏。
それぞれ正しく活かすことで 、双方の真価を知ることができます。
あなたが苦手に思うことや人、体験は あなたにとって最大の教師ですよ、といわれる意味がわかるでしょう。
表裏一体は 普遍の原理です。
ちょうど今、ある国 ある地域では、隣国との諍いが続いており、それぞれ自国の信ずるところに従って、世界をも巻き込む結果になっています。
しかし、どこかの お人好しで親切な国が 当事国以上に 行動しては くれません。
自助のための決意行動があればこそ、他国もそれぞれの側を支援しています。
それは 日本でも、個人でも同じこと。
世界で起こることは、一人ひとりの世界観の中でも勃発してきます。
宇宙の原理は、まさに フラクタル(大小相似形)ですから、政治、産業経済に関しても、人の心模様と 全てが つながっていることを実感している人も多いに違いありません。
目覚めへの招待状です。
これから、混迷を深くする世界情勢に際し、私たち一人一人が”立つ”気概を持つことを強く訴える発信者も 急増しています。
このムーブメントが示しているのは、時代の風を先読みするセンスが高い人びとが、少なからず 居ること。
これは 大いなる希望です。
ああだこうだと 特定の政治家、権力者、周囲の個人を断罪するよりも、自分は何を為したのか、しなかったのかを省みて、厳しき中にあってもなお、 希望の光りを強く灯しながら 行動へと向かい始めた おとなたちが、私の目に眩しく映ります。
僕たちは、日本を あきらめない。
自分が 取り組めることに向け、意識の光りの矢を 放たん。
運命から 試されるのは、これからだと。
だから 諦めることなんて、ありません。
ただ、人任せ、時代任せ、感情任せ を真剣に卒業していく時ではありましょう。
個人が成し得ることの 規模の大小、方法の優劣はありますね。
でも それは問題でなく、ただ “行動する“ことを 日本人の集合的無意識は 体験的に学んでいる最中です。
行動する。
この世界線の運命を 素直に受け止めて抗わず、粛々と実行していく。
(違うよ、しない自由は あるよ!)という人も、いるかもしれませんね。
あいにく、そんな 幻想に浸っていられたのは 過去のこと。
いずれ 向き合うことになるのは 同じです。
これは 世界中で起こっている変革ですから。
行動しない選択肢がある、という 甘えが効いた時代は過ぎ去ってしまい、今は(さぁ、どう行動しますか?)に 一人ひとりが 答えを 出さねばなりません。
そこで、一人ひとりが 始める小さな行動に、特別な才覚や経歴は 必要ありません。
それらは 過去のデータに過ぎません。
付け加えるなら、自信も必要ありません。
“自信がない” という 手垢のついた言い訳は、一体 いつ誰が 使い始めたのか、ときどき不思議に思います。
自信も才覚も、そして経歴も、ある人が行動した結果、自ずと備わるもの。
行動する前には自信がないという状況は 至極当然です。
ひどく論理性を欠いた この魔法の言い訳を、もし 常用している人がいるなら、ぜひ 気づかせてあげてください。
その人は、これからも 可能性やチャンスを 閉ざしてしまうから。
皆が、自身が置かれた立ち位置で、出来ることを 考えましょう。
できないことを やれ!だなんて、運命は私たちに求めません。
叶わないことは、叶わない。
そんな体験は、私だって 幾つも 経験済みのこと。
これからも あるでしょう。
(ゆっくりでも構わない。でも やろうとした? 挑戦したの?)
今、私が、日本人の多くが 問われているのは
きっとそれなのだから。
備忘録
こうして記事を書きながら、何かを検索していて、ふと見つけた言葉に 心を打たれました。
セラピスト/コーチとは、 こういう職業なんだな と。
”いやしくも
人が関わる仕事に身を置くならば
手をこまねいて、脇から見ていて
できる所業が あろうか。
毅然と立って”行え”ば、運は開ける。”
璃子 Riko Claire
アウェアネス・インスティテュート
Awareness Institute
ヒプノとサイキック
レッスン / セッション
米国催眠士協会・米国催眠療法士協会
認定トレーナー