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13世紀のスピリチュアルマスター・ルーミー、あるいはブッダのものとされる短い言葉があります。
「言葉を発する前に
その意図は3つの門を通過しなければならない。
それぞれの門の名は
真実か、必要か、親切か」
この語句は 孔子やサイババ、リンカーン、シェイクスピアの言葉だという諸説があります。
それほど、多くの人びとに強い印象を与えてきた言葉なのですね。
あの一言で、ひどく傷つけられた…
余計な一言を発して、実は後悔している…
そんな経験は、誰にもあること。
傷つくことが悪いのでもなく、失敗がいけないことでもなく
そこから学べばいいのですが、そのための基準があると役立ちますよね。
私自身も つい最近の出来事で、旧友に (ちょっとひと言、云いたいかも〜)という衝動を覚えたのち、(私は、なぜ、これを伝えたいのだろう?)と暫し考えて、あえて言わないことを選びました。
云いたいと思う心の意図を検討したのです。
こんな小さな瞬間でも、私たちは”自分”を知ります。
誰でも、無自覚に反応してしまうことがありますが、時に精神的、霊的(スピリチュアル)な視点で観察してみること。
それが霊的に生きることへと繋がっていきます。
こうした小さな日々の判断は、各人の考え、指針によってなされていますが、それにも4つの段階があります。
物質的に生きる、感情的に生きる、精神的に生きる。
その上位に来るのが、霊的に生きる段階です。
皆さんは、どの基準をメインとして判断しているでしょうか?
以下はメアリー・アン・ピエッカーという人が、詩集に掲載したものをご紹介します。
【それは真実か、必要か、親切か】
待ちなさい。少しだけ待ちなさい、
その一言を口にする前に。
その一言が害となるかもしれないから。
自分に対して、決して言わないことは
誰に対しても言わないように。
自分に問いかけなさい。
その非難は真実かと。
そしてもし、それが真実なら…というのは
あなたは嘘をつかないと思うから。
それでも、自分に問いかけなさい。
ひと呼吸おいて、よく考えなさい。
言おうとしている言葉が必要かと
問いかけなさい。
もし、その言葉が必要でも
少なくとも、そう思ったとしても…
それでも友人、敵のことを軽率に話してはいけません。
あなたの魂の中に、何か理由が見つかるまでは
そうしてはいけません。
軽はずみな言葉を口にする前に
この言葉は親切であるかと
自分に問いかけなさい。
事実か、必要か、親切か。
あなた自身に、この3つを問いかけるときは
誠心誠意、心を込めてそうしなさい。
やがて理解するでしょう。
それは難しいことではありません。
誰のことも、決して悪く言ってはなりません。
そう。
一言も、言ってはなりません。
by Mary Ann Pietzker(メアリー・アン・ピエッカー)
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璃子 Riko Claire
アウェアネス・インスティテュート
Awareness Institute
ヒプノとサイキック
レッスン / セッション
米国催眠士協会・米国催眠療法士協会
認定トレーナー