UFO(以下、宇宙船)否定論者の、もっともな よりどころとして宇宙船が地球に飛来するには 宇宙はあまりにも広すぎることで、距離と時間の関係をあげる。
しかし、もし宇宙船が時空をコントロールしているとしたら 話は変わってくる。
私の長男で超能力者の清田益章のタイム・コントロール現象をここに書き、問題を提示したいと思う。
親子でテレポート実験
1974年、”スプーン曲げブーム”も やや冷え始めた頃の初夏、私がある書店に行くと当時、小学生だった益章が 呆然と店内に立ちすくんでいた。
私が家を出る時には、本人が自宅にいたので「アレ、お前は家にいたのではないか?」と訊くと、父が本屋に行こうとしていると感じた途端、この書店の中に立っていたと言うのだ。
本人はこの時、自分自身のこの突発的な現象にひどく驚き、また怯えていた。
その後、このような現象がたびたび起きるようになり、本人も急速に自分のものにしていったようである。
その結果、私もその目撃の機会が多くなっていった。
私の家から北千住駅まで歩いて12~13分ほどかかるが、益章は私の背後から忽然と消え、駅前のロータリーに立っていたことがある。
私が「そんなことが出来るわけがない。それなら お父さんの前から消えてみろ」と言ったところ、益章は「前では出来ないが、後ろからなら出来ると思う」と言うので、2人でやってみようということになった。
益章を 反対方向の位置に立たせ、私は駅寄りに立った。
本人を背後にして「ひとつ」と数を数えながら 後ろを見た。
本人はまだ立っていた。
「ふたつ」と言いながら振り向き「まだ消えないのか」と問うと「まだ出来ないや」と返事があった。
そして「みっつ」と言って 後ろを見ると、そこに益章の姿はなかった。
私は前後左右を確めたのち、全速力で駅へと走った。
駅に着いてみると、本人はニヤニヤ笑いながら立っていた。
私は息をはずませながら近寄り、益章の胸などを触ってみたが、動悸もなく汗もなかった。
当時の益章と私では、駆け足では 私の方が早かったにもかかわらず、このようなことが起きたのだった。
それから1年ほど後、当時、益章が通っていた中学校は自宅から徒歩15分ほどの距離にあったが、本人は始業時間 2,3分ほど前にしか 家を出ない。
妻が心配して 中学校に問い合わせると 遅刻はしていないとの返事だった。
妻の話では、益章が登校のため 自宅を出た直後に道路に出てみても、どこにも益章の姿は見あたらないと言っていた。
名古屋から訪ねてきた山口青年は、益章がテレポーテーションで、自分より先に自宅に着いたのを目撃して 非常に驚いた。
また、益章が壁を抜けたとしか考えられない現象に 唖然とした人もいる。
このような場合、本人は意識してやっているわけではない場合が多い。
テレポート実験 ! 北千住-新宿 13分
益章と長女の2人で東京タワーに遊びに行った帰りのこと。
益章はまだ東京タワーで遊びたいという気持ちながら、しぶしぶ 姉と帰路の浜松町駅へ向かっていると、自然に東京タワーに体が戻ってしまい、2人とも非常に困ったこともあった。
長女が「今、マッチャン(益章)が、私のそばから出たり消えたりしている。どうしよう?」と電話してきたので、私は「捕まえられなければ、お前だけ帰っておいで」と指示し、長女だけが山手線に乗った。
ところが 私がその電話を切ってほどなく、後に帰宅する筈の益章が 先に帰宅したのである。
驚いて理由を聞くと「上野までテレポートして、それから電車で来た」と言う。
しばらくすると 長女が帰ってきた。
益章は「お姉ちゃんと一緒に帰ろうとすると、サッと東京タワーに戻ってしまうし、どうなるかと恐かった」と話していた。
以上のように、初期はコントロールできなかったが、最近はだいぶ なくなってきているようである。
テレポーテーション現象について、私が直接 見たことに触れてみよう。
益章が中学一年の時、妹を泣かせているので、私が怒って追いかけたことがある。
もう少しで捕えられるという時に、路地をスッと曲がった益章が見えなくなってしまった。
私は瞬間的に「あっテレポートしたな」と思い「戻ってこい」と怒鳴った。
すると 目前に黒い人影が現われ、それが益章になったのだ。
そして今度はテレポーテーションが起きないのか、慌てて近くの塀に這い上がって逃げようともがくのだ。
後で聞くと「捕まりそうになったので、とっさに学校の校門の前に逃げようと思ったら、校門に出た。ヤレヤレ助かったと、ホッとした途端、強い力で引っ張られる気がして、気がつくとお父さんの前に出てしまって 焦った」と言っていた。
そういうことがあり、漫画家のつのだじろう氏と、益章を意図的にテレポートさせて、時間をはかってみることにした。
益章が北千住の自宅を出た時、つのだ氏に電話をし、新宿にある氏のスタジオに着いたら電話をもらうことにした。
すると益章が自宅を出て12~13分後、つのだ氏から「今、スタジオに入ってきた」と電話連絡があった。
私の家から北千住駅まで、徒歩だけで12~13分はかかるのに、である。
バイキング1号より 先に火星へ
いずれにしろ非科学的な現象であるが、実際に科学を超えて起きているのは事実である。
1974年11月26日の夕刻、家の隣にあるガレージで遊んでいた益章が、いつのまにか居なくなった。
しばらくすると慌ただしく帰ってきて「お父さん、どうも僕は火星に行ってきたようだ」と言う。
からかい気味に質問をしてみると、次のような出来事を話した。
益章はその夜8時ごろ、夜空にひときわ赤く輝く星を見て「あれが火星なのかな?行ってみたいなぁ」と思った瞬間、赤茶けた なだらかな起伏の丘が連なり、白っぽい石がころがっている大地に立っていた。
空は益章の肌の色をしており、本人の体は光のドーム状のものに包まれていた。
3分間ほど立っていると、また元のガレージに立っていたというのである。
私は、ことの真偽はともかくこのことを記録し、1975年8月28日付で新潟県にある「テレパシー」という超心理学研究グループの機関誌に報告し、活字にしておくことにした。
A 地面 赤茶色で砂より細かい土、足で踏みしめると砂ぼこりが立ちそうな感じだが ドンと踏んでみても土は舞い上がらなかった。(いくぶん湿りがあるという意味)
B 全景 なだらかな丘の連続という風景。
C 空 空は青くなく 地球の夜空のように真っ黒でもない。星が見えていたが 地面も見えた。従って昼か夜か分からなかった。体が軽い。
D 植物 見当たらない。白っぽい岩があった。
E 風 周囲の土が飛んでいなかったので あまり吹いていなかったと思う。火星にもクレーターがあるが 地上に降りると見えなかった。
この時、益章が「お父さん、空の色はこの色だったよ」と言い、自分の手を見せたので、私は「そんな空の色はない」と、Cのように書いて出した。
翌年、バイキング1号が火星に到着した時、火星は益章の目撃談とそっくりであった。
週刊誌では天文学者が「天文学好きで空想癖のある子供の話だ」と語っていた。
しかし、あのころまだ誰も知らなかった火星の空の色を肌色と予言し、それはNASA発表のピンク色の空と共通点がある。
益章が実際に火星にテレポーテーションしたのか、透視か幻覚かは分からないが 、本人の話では、その場所に立っているという実感があるらしい。
いずれにしてもバイキング1号の到着地点の状況を、天候まで当てたことになる。
火星の石を動かした!?
バイキング1号が火星に到着した日、みんなで益章に「火星に行ってきたのならもう一度行って、1号のカメラの前に立ってみろ」と冗談を言った。
益章は非常に憤慨して自宅2階に上がり、しばらくして降りてくると「カメラの前の石をPK(念力)で動かした。明日の新聞を見ろ」と言った。
翌日の新聞にはカメラの前を、何か小さな物が横切った。
石の動いた形跡があるなどと報道されていた。
その後、益章はPKをバイキング1号に発射しつづけたようである。
その後の新聞でシャベルがおかしくなったなどという発表が続いたので、私は益章に「もし、お前のPKが原因ならば悪いことをしていることになる。罪にはならないとしても止めろ」と言った。
益章はPKの発射をやめたと言い、そのせいか 偶然か、バイキング1号は正常になった。
またバイキング2号が火星の上空を飛んでいるころ、益章は「2号の着地点は1号の場所よりもっと石がゴロゴロしていて、2号はその石でひっくり返る」と言った。
その時、NASAでは2号の着地点は、石の少ないなだらかな場所と発表していたが、実際に2号は多くの石の上に降り、ひっくり返りはしなかったが石の上に片足を乗せて傾いた。
(次項に続く)