(私も ここを知っている…)前世療法を世に公開した、米国の精神科医でありヒプノセラピストのブライアン・L・ワイス博士が著した『前世からのメッセージ』の、とあるページの一節にふれ、私の目は釘付けになりました。
ある強烈な体験をして以来、私がずっと探していた答えのヒントを見出した気がしたのです。
-以下、『前世からのメッセージ』より引用-
深いトランス状態で、彼(クライアント)は庭園かジャングルのような場面に入り込み、直ぐに喜びと幸せの涙を流して泣き始めました。 これほど感情をあらわにするのは彼らしくありません。 クライアント 「これは..ここはパラダイスです。故郷…故郷なんです!」 その声は感動に溢れていました。 涙が彼の頬を流れ続けて殆ど話すことができません。 そこで私(ブライアン)は2、3分してから彼を目覚めさせました。 ブライアン 「どんな体験でした?」 クライアント 「パラダイスを見ただけです。素晴らしく緑が青々として輝いて。他に誰もいません…」 やっと彼は話し始めましたが それもほんの少し。 クライアント 「いつか、私はそこへ戻ってゆくと感じています。前にそこにいたことがあり、これから行く場所だと知っている感じでした。」 ここを知っている感覚と信じられない程の平和と安心感を どう言い表せばいいか苦労しているようでした。
ここからは、私の体験です。
私も ある晩、パラダイスのような場所へ帰還した夢をみました。
夢というには、あまりにも衝撃的で絶大な幸福感、安心感。
そこがいかに素晴らしいかを言葉に代えれば、自分でもがっかりするほど ありきたりになってしまう…それほどの美と幸福感。
私は その美しさ、喜び、素晴らしさを伝える言葉を持っていません。
言語を絶する至高の体験でした。
圧倒的でした。
圧倒的な体験は、文字通り一瞬で 人生を変えてしまう力があります。
たった一夜の内に 私は別人になったように感じました。
考え、価値観、自信、気力の全てにおいて 中身が入れ替わったように、職業も 現在あるように転向していました。
これを 至高体験と呼ぶことは 一年ほど後になって知りました。当時の私には 観念さえもなかったからです。
博士の膨大なセッション例の中で、書籍に収められた事例はわずかだと思いますが、この一例に触れたとき、私は文字通り 息を吞みました。
(同じ体験をした人がいる!)
私の至高体験
私が行ったのはジャングルではありませんでした。
しかし、気づくと それほど背高くない樹木が一本、立っている丘にいました。
丘につづく麗しいみどりの楽園。 正面の向こうには小さな川が流れています。
向こう岸を埋め尽くす華々の彩りさえも 言葉で表現できうる閾値を軽々に超え、光にみちて輝いていました。
魂が震えるほど美しいとは こういうことかと思いました。
数日しても余韻に浸っていられるほどの あの衝撃は、残念ながら 二度とない気もしています。
至高体験とは、生涯に一度あるかないか...という稀有なものだということも知りました。
私に身体はなく、ただ中空に浮かびながら、周りを観て瞬時に理解したのは二つのこと。
「ここから来て、ここに還る」
「でも、今まだ地球に戻らなければならない。ここに今は還れない」
その観念が、突然に降ってきました。
一瞬で、理解できるテレパシーのように。
あの場所はいったいどこだったのか。
印象派の絵のように、色とりどりの花々に圧倒されながら(地球では、色はこれほど美しくない…)とも思っていました。
3次元と そこでは 次元が違うらしく、色も光も、その美しさのレベルは、感知できる波長が違っているせいだとわかります。
私たちは、何かを伝えようと思っても、相手の人が見たことのないものを伝えることができません。
相手の理解を超えてしまう場合には、似たような事物に例えて表現することはできますが、やはり ”そのもの”とは違い、正確には伝えられないものです。
たとえば愛、恋する衝動、最愛の生命を亡くした哀しみや孤独の辛さ、激しい怒りなども、自分が体験していなければ 私たちは 理解できません。
体験していないのに分かる気がするなら、それはどこかで”知っている”のでしょう。
今生でなく どこかの生でー。
話を戻しますが、そこが 地球ではないことを 私は ごく自然に感知していました。
そうした知識は瞬間ダウンロードされたように 入ってきていました。
この至福の郷が 私の ほんとうの現実だと。
冒頭の一節を目にしたのは(やはり、あの領域は本当なのだ!)と、天啓のように、私に確信させてくれた瞬間でした。
エデン…それは、ある。
いま、世界中で報告される臨死体験にも、多くの共通パターンがあります。
「圧倒される幸福感」「言葉を失うほどの美しさ」のほか「とてつもなく優美な音楽」を聞いたという人もいます。
「この世とは思えないかぐわしい香りが漂っていた」という人もいます。
どれも現世では 再現できない、伝えることもできないという点で一致している臨死体験。
こうして「ここから(現世に)来て、ここへ還る」ことに深く気づくと「死は存在しない」「持って行けるものは、自分の質だけ」ということが、もぅ否定できなくなります。
そして さまざまな縛りから解放されていくのです。努力や学習でなく、ごく自然に。
当然ながら臨死や至高の体験は、自ら望んで体験できるものではありませんが ヒプノセラピーのワークで疑似体験を通過してゆくと、緩やかながら 同様の変化が起こってきます。
最大の怖れは「死」
人が抱く怖れや不安、哀しみと怒りの多くは「死」に対する怖れが根にあると言われています。
ですから 「死」を怖れなくなると「生きること」を怖れなくなるのは真理ですね。
生きながらの臨死体験ともいわれる至高体験をした私も 一晩で こんなことを一瞬で知ったように感じています。
つまり、生きることにまつわる諸々のこと、たとえば人からの誹謗・中傷、貧困や不足感からの無価値感、他者への批判・怒り、勝つだの負けるだの、成功だの失敗だのと 近視眼的な世界観に やっきになることの無意味さ。
小さな犯罪から大きな争いまで、ああだこうだと議論し、自分の正しさを証明しようとすること。
小さな見栄や、風に煽られれば 吹き飛ぶような 小さな慢心。
比較する心や優越感を 生涯、必死で護ろうとすること。
そのような感覚は(ばかばかしい幻想だった)と。
このような神秘体験を 夢と片付けられるものでしょうか。
さて、そこでは 三次元の物理とは別のダイナミクスが働いていたことも印象に残っています。
その世界には 距離と時間がなかったのです。
どう説明して良いかわかりませんが、それがそこでの真理だと分かったのです。
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