大抵のヒーリングやチャネリングは、微細な電磁気学や自己暗示でほぼ説明できる現象ですが、私の個人体験の中には、それらでは説明のつかない、まさに神的体験としか思えない事例も多々あります。
そのなかでも、初期の体験を二つ挙げてみます。
明らかに神的なパワーによるものとサイキック超科学で見られるヒーリング現象は、効果において特段の違いがあり、また明らかに別世界からの関与が示されて、本人には生涯、忘れ得ない奇跡となるのです。
オーロラ色の光り放射
当時まだ、私は精神世界に触れ始めたばかり。
触れ始めても、心酔して傾倒することはなく、一般業務に就いていました。
別世界との通信というのは、その媒介役となる私たち自身も、徐々に自覚を促されつつ、抵抗むなしく導かれてしまいます。
教育を施されるように(時には外的圧力をもって)準備され、開花されていくのです。
それに対して、サイキック視力があるという人は多くいます。
例えば、幼少期は誰でももっていて、忘れているだけの視力。
これはすでに知られているように、一般的なサイキック知覚の一つで、特段に何らかのスピリチュアル的役割があるというわけではありません。
それを第6感、第7感と呼ぶ範疇に含まれます。
催眠トランスの練習では、誰でもその感性をかなり取り戻すことができますことから、特別な能力、使命とは無関係であることが分かってきます。
「幼い頃は、いろいろなものが見えていた...」という人は普通です。
そして、そのことも封じていた...のも、その人だけではなく、ほとんど誰もが それを口にしなかっただけなのです。
しかし、その知覚体験を忘れ去っている人の中には (大人になって、または時期が来ると)「それを役立てなさい!」という指令が突如として降りる人がいます。
そうした使命が降りる人は、自ら、その系統の仕事を望んでいない人が多く、むしろ 興味もない人が「呼ばれて」やらされるようなもの。
多くの本物とされる能力者たちは、自動かつ周到にある教育課程を歩まされる傾向がありますから、自ら望んで…、あるいは興味がある…という意識を持っていないことが大きな特徴です。
「好きな能力で、興味関心のある仕事をしたい…」というのは、誰もが憧れるスタイル。
ですが、そうしたスピリチュアル系とは、全く異なる指向性を社会の中で磨いてこさせられ、そしてやがて、時が満ちると用命が与えられるのがお約束。
ですから、ちょっと神秘世界に触れることがあっても、かなり冷静に、一般社会に身を置いている人の中に、使命が降る可能性が潜んでいますよ。
今、あなたが「自分には、そんな能力はない」と感じていても、40代以降に お呼びがかかることだって、あるのです。
なぜって、内的な成熟が必要だからです。
なせって、審神者(サニワ)の見極め力、つまり盲目に過信しない厳格さ、疑ってみること、検証してみる判断力が求められるからです。
スピリチュアルへの扉は、それほど冷静な反面を備え、自己の体験、能力を慎重に精査する厳しさがなければ、神々しい次元以下の 低級で怪しい実体にも容易に利用され、騙される可能性がありますでしょう。
古くから、巫女や口寄せ(今でいうチャネラー)には、審神者が必ずそばにいて、その実体が低級か、神々しいものかを判断し、怪しければ祓う役割をしていました。
トランス中の巫女や口寄せは、そうした冷静な判断ができない状態です。
そう考えると、審神者は現代のヒプノセラピストと似ているでしょう?
トランス中のクライアントよりも、ずっと厳格に最善を模索し、かなり左脳も使っています。
判断もするのです。
さて、現代では 修行のための精神鍛錬は、かつてのように激しく、極端には行われていない時代です。
ですから、代わりに現実社会での学業、仕事、ボランティア、家庭生活なりで、人格醸成がしっかり行われていく必要があるのですね。
使命がある人の法則
この法則は、芸能界などでは顕著に見られます。
大抵の場合、非常識なほどの大枚を叩いて、芸能レッスンに通い、憧れのオーディションを受けても受けても、一流事務所に見出されない人がいますね。
一方、ただ街中で歩いていたらスカウトされて、あっという間にスターになっていく(外的な力で、仕立て上げられていく)人がいます。
あるいは、本人は芸能人という職業に憧れてもいないし、そうなりたい願望もないのに、知人が(殆どの場合、本人に内緒で)オーディションに推薦したり、勝手に写真を応募していて、それがデビューに繋がったり。
または、友人に付き添ってオーディションに行っただけなのに、当の友人は不合格で、付き添いの自分がグランプリ!といったことが多いでしょう。
こんなふうに、およそ本人には知られない方法で、よく準備されていくのです。
そして、そうした人の方が一流人として長く活躍されているのが事実ですね。
これらも神的なダイナミクスが働いている時の特徴なんです。
さて、私が接した神的体験に話を進めましょう。
当時、ふとしたことで知り合い、”知人”といえる程度の親しさの方がいました。
彼女は明るく、ヤンチャな主婦。
実際に「私はヤンキーだったのよ」という方でした。
ヤンキー(だったという)の彼女の自己史、風情は確かに漂うのですが、私には 彼女から もっと奥行きを感じることがありました。
どことなく翳りのある表情に加え、言語としては記述しきれない感情が感じられたのです。
(かなり辛いこと? 強い哀しみ ? 一体なんだろう…。)
本当の彼女は、深く思索を巡らしているようなところがあり、奥深さも窺えます。
元ヤンキーらしい軽薄なひょうきんさ、無駄な明るさの裏に ときどき不釣り合いな賢者が見え隠れするーといった印象。
私は 彼女の深奥にある、そんな特殊な魅力を感じて始めていた頃、偶然か否か、彼女と二人きりで話す機会が訪れました。
彼女も、当初の私(璃子)には 「自分とは真逆だし、ゼッタイ仲良くなれないタイプだわぁ〜」だと苦手に思っていたのね と 笑いながら打ち明け、当初の互いの印象やその後の印象変化を吐露しあった後は、短い時間にもかかわらず、すっかり打ち解けていました。
話が弾んで、ひと息つき、彼女が ふと呟くように切り出しました。
「私ね..ちょっと前、息子を亡くしたの。高校生の息子。それは自宅で突然だった。体調不良で寝ているとばかり思っていて、私が気づくのが遅かったんだよね。原因不明のままなの。でね、私も夫も 生きていても意味ないかな、命って何なのかな、なんて思っちゃうとね、気力もなくて」と語り始めました。
(そうか。だから彼女は…)
こんなとき、何と言えばよいのでしょう。
返す言葉が見つかる人は、そう多くないと思います。
「ウン、ウン…」
打ち解けっていたためか、彼女の心情は私にも既に強く伝わっていて、こちらはただ頷くだけ。
すると、そのときに 私自身にとって初めての”摩訶不思議”が起こったのです。
私の口から、彼女に何を話したのか 今は覚えていませんが、勝手に言いたいことが口をついて出てきます。
死の原因に関すること、原因と遺した家族のこと…。
それから、実のところ、彼女の夫(亡くなった息子さんの父親)は、経済的な困窮に遭っている事態でもありましたから、それに関する予見。
(今こうして書いていると、これもまた不思議ですが、少し思い出されてきます)
とにかく、話しているのは私自身である筈なのに、私が知らないことが、スルスルと私の口を借りて出てきます。
彼女の個人史、生活を知るほどの仲でもありませんから(こんなこと、言っていいの?)と、我ながら やや訝(いぶか)しく感じている自分も同時に存在しています。
第三者の視点です。でも私自身の意識もあるんです。
今となっては、それがセミトランス(半分は自意識のあるトランス)状態での 真のチャネリングであることを知っていますが、これが生まれて初めての 自認識のあるセミトランス体験となりました。
話は それだけでは、ありません。
勝手に話しをしている自分を、自身で怪訝に感じていますから、そんな状況を客観視している私の一部分は、また別のものを目撃していました。
息を呑み、目を見張るほどの驚きで!
文字通り、私は驚きと畏敬の思いで、目をまん丸に見開いていたのではないかしら。
彼女の背後、ちょうど頭部と肩の辺りまで50-60cmも上方から、見たこともない光りの放射が差し込んで、ユラユラと揺れています。
私の個人体験の中で、唯一といえる至高体験で見た、オーロラ色でした。
チラチラと輝き、揺れるごとに光りの帯がたなびくように流れていた河の色と同じことに驚いていたのでした。
至高体験は、ひとが生涯に一度あるかないかという神秘体験の一つで、多くの場合は臨死体験として体験されますが、覚醒体験、宇宙との合一体験があります。
まさにあのオーロラ放射を、私は 彼女の背後に 再び見ていたのです。
(…あ…あの世界で見たのと同じ…)
あの美しさを、映像にできればいいのだけれど、おそらくこの次元世界では例えようがなく、本当に残念です。
江戸時代の人びとに、蛍光ペンの黄色がどんな風なのか、また街のネオンカラーの眩しい発光色を伝えることが困難なのと同じジレンマを感じます。
この次元世界の視器官で捉える範囲の周波数では、未経験の色彩帯は存在します。
ただ、どんな絵の具でも再現できず、通常の視器官でも体験できないトーンはありますね。
紫外線や赤外線の域を越えるトーンが。
少し話題をそれますが、ひとのオーラも蛍光カラーの如く輝きながら放射されていて、真っ暗な寝室でも(感覚的には)部屋が明るく感じられるほどの照度さえ、あります。
人々が その次元世界を共有できれば、純粋に もっと簡単に(素敵なショックを感じながら)世界の見方が変わるだろうと思います。
さて、私の(というより別の意識存在による)語りは終了しました。
すると、彼女が 涙を拭きながら、わずかに顔を上げ、うっすら微笑みさえ浮かべて、言いました。
「え、ナニ! 何だろう? もう半年、ずっと落ち込んでいたの。なのにスーッと今、急にね、気持ちが違うの! 何か、軽くなった? 体が、フワァーってなってる。嘘みたい!」
話し途中から、彼女の背後の光り放射は(私が凝視している間に)徐々にうっすらとなり、空間に消え入っていました。
(あ、やはり。そうか、そうなんだ…誰かが癒したんだな)
私は、そう思いました。
こうした光り放射は、通常の人のオーラとは非なる色彩です。
そして彼女や私から発していたのではなく、上方から注がれていたのです。
明らかに外的作用が介入して起こった 神的体験の癒しでした。
この後、しばらくして、また別の人とのお喋りで、同様に(勝手に)思ってもいない言葉が口をついて「言わされた」体験をしました。
直前まで、言おうと思っていた自分の言葉が、0,1秒の間に自動変換させられて、自分では思ってもいない言葉になって発話される奇妙さ。
口が乗っ取られる感じです。
そして、その時も ちょっと鬱気味に落ち込んでいて、離職しようかと悩んでいた相手の方が欲しいと思っていた、別のチャンスに関する提言だったのでした。
私自身は未来を知る由もありませんが、実際に、彼女もその通りになりました。
それからの私は、主に家族の死を乗り越えられずに、傷む気持ちを抱えている人々と、続けて出逢います。
朝から深夜まで、時にはメールで。
時には長電話。
そして、それはもちろん!無償という形で(今、思うと異世界からのトレーニング?)が始められました。
あるセッションで
以下は セッション依頼をいただいた、ある女性(40代)からのご報告レターです。
幼い頃に、亡くなったお母様に再会したいという想いに応える形で進められたセッションでした。
セッションでは、ビジョンの中でお母様と握り合った手の感触が残っていて、それもまた温かな思い出として心に刻まれたと言います。
レッスンで経験する練習ワークでさえ、時には部屋中をピシパシとラップ音が響きます。
そしてワークが終了すると音は消え去ります。
催眠療法というのは、心理療法という側面だけでは捉えられない異次元とのアクセス経路。
いま、こうして記しながら
【心して取り組みなさい。ヒプノセラピストたちは ときに 神的世界から取り次ぎ役を任される巫女や神託者、審神者であるかもしれないから】
そんなメッセージが、どこからか聞こえてくるようです。
璃子 Riko Claire
アウェアネス・インスティテュート
Awareness Institute
ヒプノとサイキック
レッスン / セッション
米国催眠士協会・米国催眠療法士協会
認定トレーナー