エソテリックな教えでは、人は無知の状態から、知識を持つ状態へと徐々に進歩することが示されています。

そして、その段階は主に4つ

その道程は、小さな幾つもの段階を含んでいますが、その異なる学びを経て到達する地点を「悟」「哲」「智」(すべて”サトリ”)、マスターと呼び、普遍的真実に近づいていくのだといいます。

ある転生を数千年万年単位で繰り返しながら、ようやく進化すると教える流派もありますよ。

その、気の遠くなる進化の階梯は、以下と説明されます。

  • 観念のひと
  • 学ぶひと
  • 知識あるひと
  • 叡智のひと

初めのステップは観念のひと

進化の道程を歩み出したばかりですが、教えられた通りに考え、生きることに専念している段階です。

自己の可能性をひどく制限していることにさえも 気づきません。

人生は、幼い頃に繰り返し 教え込まれた 行動、ルール、常識に基づいて、全てがほぼ自動的に決定していきます。

彼自身のルールは、彼にとっては、疑いのない”絶対的な真実”です。

ですから他人にもそれを押し付けるなど、寛容さが未熟です。そのために、時には主義や主張の争いになることもあります。

互いの信条が異なるのは ごく普通のこと。

ですから、争いも進歩過程としては自然といえます。

「自分の観念(思考)は、必ずしも真理でない」と気づき始めるまで、この状態は続いてしまいます。

次のステップは学ぶひと

学ぶ人は、自分がまだ知らないことを理解しようと努めます。

この段階でも、かつて教えられ、自身の中に深く取り込んだ規範やあるべき姿に影響を受け続けますが、その根拠が本当かどうかを、自身でも確かめたいという欲求を持っています。

ですから、心の中に浮かぶ疑念や質問についても素直に従い、学ぶことに懸命です。

既知だと思っていた事柄を改めることで頑固さが消え、素直さ謙虚さをも学んでいきます。

かつての自分(判断)が誤っていたと識(し)ること、それを認め、受け入れることは真の知性に必要な素養ですから、その性質も磨いている途中ですね。

これは、次のレベルに上昇しても続きます。

だって、知ることがどんどん増えていきますから。

自分で(かつて)気づいた!わかった!と思った古い解釈も、さらに捨てていきます。

内的な目覚めに近づけば、近づくほどに「自分は何も知らなかったのだ」ということを受け入れるのも容易になっていくのです。

すると、異なる考え、解釈も(ふうん…)というように流して聞くことができます。

自分だって、昔は なんでも自己の解釈しか認めずに、いろんなことや人を判断したり、決めつけていたのですものね。

そのせいで起こす 争いは無益であることに、心から気づいています。

このプロセスを何度も通過して、古い自己を破壊できること、それは楽になれる道なんだとわかるようになります。

すると もっと古い自分を捨て去ることに怖れがなくなって、探究したい気持ちが湧いてきくるのです。

古い観念から自らを解放すること、役に立たない自尊心にしがみついたり、意固地にならず、真理を知ることに恐れがないので、本当の”知識”に手が届くわけです。

こうして「学ぶひと」の段階を終えると…

知識あるひとに進級

知識あるひとが識りたいのは、永遠に移ろうことのない ものごとの本質です。

崇高な次元王国(Spiritual Kingdom)を支配し、ものごとを決定する普遍の宇宙法則、人のソウルが進歩するのに役立つ智慧に近づこうとします。

目の前に現れる現象を 超越的な視点で見つめ、原理を知ろうとしています。

思索を重ね、重ねてきた人なので、下位レベルでものごとを(自己流に)解釈している 人たち、別の真実を信じる人にも寛容です。

人を許す」などという勘違いスピリチュアリティからも抜け出しています。その考え方に潜む ”傲慢さ”の罠に、気づいているから。

知識はある-でも、ここから先に頼るのは 自分の中にある”内なるマスター

こんな人は、いま多くの課題を通過していて、すでに内にある高度な知性との接触が始まっているでしょう。

例えていうなら 脳波がいつも軽い瞑想ヒプノシス(催眠トランス)の状態。

この段階を通過しながら…次は

最終的な目的叡智のひと

叡智のひとは、自身の内面を高めていこうと、いつも自己観察勉強をしています。

しかし 決して頭で理解するのでなく、ちょっとした試練もあって、実際に生活の中で、高みへの課題、ハードルを乗り越えていくことを 体験しようとしています。

つまり、智慧を実践していこうとしています。

叡智があるのだったら、いつも 順風満帆!すべてウマくいっているのでは? …なんてことは、ないのですね。

叡智あるひとは(エソテリックな教えでは)ソフィア(=叡智の女神)に象徴される賢者です。

叡智のひとは、知識を現実に活用しているので、困難な状況にあっても、その困難さの理由や、自分がどのプロセスなのか よく心得ているもの。

例えば、スランプを体験する真の意味を知っていれば、その期間を自虐的に捉えることはなくなります。誰かのせいにすることもない。

錬成期間だと感じているだけです。

周りを羨むより、自分の修練に意識は向いています。

体験の理由や人生法則は すでに”識って”いて、その意図が成されるように行動たり、時期を待つこともできます。

人の裁判官にもなりません。

ひとそれぞれのソウルの進歩過程は、宇宙の法則です。

その法則を現実に活用しながら、遭遇するものごとの原理真理に到達していく、市井(しせい)の悟者へと、自信を育てていきます。

あいにく、そう多くないと言われていますけれど…

こんな時代ですから、密かに マスターたちは飛来しているかも。

別次元世界から。

璃子 Riko Claire

アウェアネス・インスティテュート

Awareness Institute


ヒプノサイキック

レッスン / セッション


米国催眠士協会・米国催眠療法士協会

認定トレーナー