職業柄でしょうか、私が 座右の銘とする句は 多く、スピリチュリティの教え、金言、導師の口伝、書物から得た句、神秘学(精神の賢者組織)、哲学などさまざま。
それぞれは レッスンやセッションの際に 閃くように 思い出され、繰り返し 語るうちに 意識に固定化したものです。
その中でも、最近のレッスンで引用した言葉のひとつが こちら。
”美とは、それを観る人の内にある”
-それを 良いもの、人、コトと捉える心があると、それが良いもの、人、事になっていく-という【教え】は たしかに真理の一側面ですね。
多くの人が自分だけの視点から、あるいは妙なプライド(思い上がり)、嫉妬、利己心、猜疑心や狡猾さ(ズルさ)、依存(過度の甘え)、支配欲、尊大さ といった 礼を失した精神態度、過剰なエゴ、性格上の欠点を強化する考えに取り込まれています。
その人たちは、 自分だけの視点で推論をしながら 感情を生み出し(正確でないにもかかわらず)判断や結論を決定し、時には 破壊的な振る舞いで、周囲との軋轢をひき起こします。
”判断”する能力と自由を与えられていますが、そもそもの理解力、分析力、想像力、論理の欠如とが見てとれますし、自由の使い方も誤っているのです。
モノゴトを見ているつもりでも、見えていないと言えます。
偏ったイマジネーションでは、モノゴトを測ることさえ無理な話でしょう。できる事といえば、せいぜい 自分レベルの了見で想像するだけ。
こうした場合に必要なのは 心理学的なセッションでもなく、コーチングでもなければ、スピリチュアリティの知識でも ありません。
その一方で、モノゴトを 実態よりも善いように(都合よく歪曲して)見ようとする 無理も、決して賢くありません。
なにごとも、過ぎたるは及ばざるが如し!
私たちができるのは
・他人の行為が建設的態度であれば 見習うこと。
破壊的とみたなら
・ 己はどうか?と顧みて、学びに変えること。
常に思考と推論は、どれほど 正確で正当だろうか、どこで判断すべきか、さらに言えば、判断そのものを為すべきかを 思惟しなければなりません。
そして、もし好ましくないと判断を下すことがあれば、それが自分自身の進歩に役立つかどうかを考えなければなりません。
このような精神的態度を会得する方法は、やはり日々の鍛錬です。
あなたは 他人を(裁判官のように) 裁いていないでしょうか。
そうであるなら、あなた自身も 裁かれるかもしれません。
いや… もし あなたが 何か、誰か、或る出来事を 裁いているとしたら、既に あなたも 何処かで誰かに、同じように裁かれていたりして….。
とするなら、これから 心に思うこと、くだす判断は、そのモノゴト・ひとを前にして 率直に言えることだけにするというのが もっとも賢い選択でしょう。
璃子 Riko Claire
アウェアネス・インスティテュート
Awareness Institute
ヒプノとサイキック
レッスン / セッション
米国催眠士協会・米国催眠療法士協会
認定トレーナー