ひとは 人生に意味を問いたがる。

しかし、私たちが 人生に問われる立場なのだ。

つまり… 「訊くな! 答えよ」 

この言葉は「どう生きるのかは 神に訊くのでなくあなた自身が答えなさい」といっています。

自分ではわからない!という思い込みも、暫くはいいでしょう。

ただ、答えずに 生き続けるには 人生はあまりにも長くえを見いだすには人生は 意外と短いことに気づきます。

少し前には、こんな本が話題になりました。

『死ぬときに後悔する 25のこと』

失敗を恐れて したいことをしなかったこと

夢を叶えられなかったこと

感情に振り回された一生をすごしたこと

他人に優しくしなかったこと

自分が一番と信じて疑わなかったこと

美味しいものを食べておかなかったこと

仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと

行きたい場所に旅しなかったこと

会いたい人に会っておかなかったこと

心に残る恋愛をしなかったこと

生と死の問題を乗り越えられなかったこと

神仏の教えを知らなかったこと

愛する人にありがとうと伝えなかったこと

QOD(Quality of Death=死の質)を考えるとき、QOL(Quality of Life=生の質)がそれを左右する という言葉も、多くの命を見送った臨床医ならでは。

また、The Top Five Regrets of The Dying – 末期患者が口にした 5つの後悔 -も同様に、以下を挙げています。

  1. もっと自分らしく生きれば良かった
  2. あんなに がむしゃらに働かなくても良かった
  3. 言いたいことは、ハッキリ言えば良かった
  4. もっと友達と連絡を取れば良かった
  5. もっと自分の幸せを追求すれば良かった

多くの先人が共通して後悔することなら、私たちも例外ではないはず。

『好きなことに挑戦して 失敗する方が、何もしないより ずっと素晴らしい』という言葉に、深く頷く方も多いことと思います。

真の賢者との 3つの壁

わかっていても、それができないでいるとしたら、今、私たちが手放すべきは 妬み、 怒り(恨み)そして(無知ゆえの)プライド かもしれません。

多くの人は 命の期限 という扉の前に ひとり立つとき、これまで 何十年もの間、見過ごしてきた ほんとうの 大切なこと 目覚めるようです。

そのことに深く気づき入る 最期の時まで「待っても」何の意味もないのだけれど。

病や失職、災害などで「生の中の 死」を 通過している方も多い 昨今。

集合意識的に 目覚める タイミング かのように、これまでなら我慢していたことを始めたり、パッと決めて行動する受講生の姿を見せていただくにつけ、 私も励まされているような…。

璃子 Riko Claire

アウェアネス・インスティテュート

Awareness Institute


ヒプノサイキック

レッスン / セッション


米国催眠士協会・米国催眠療法士協会

認定トレーナー